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阪神大震災

2007-01-17 19:51

12年前の今日朝5時46分、忘れもしない大震災。

当時私は高校1年、16歳でした。中学から毎日変わらず乗っていた6時46分の

電車に間に合うようにいつも5時に起きて朝からゆっくりお風呂に入るのが日課でした。

あの日の朝も変わらず5時半までお風呂に入り、髪を乾かし、さて朝ご飯…と

食卓についた瞬間だったと思います。雷のような…記憶にあるのは『音』だけでした。

そうなんです、あまりにも衝撃の大きいことだったので記憶が飛んでるんです。

揺れの時間さえもわかりません。途切れた意識を呼び戻したのは『母の悲鳴』でした。

ちょうどその時卵焼きを焼いていた母は何がなんだかわからず、でもとにかく火を消したそうです。

家中の物が家具の中から飛び出し、ガラスの割れる音だけがずっと続きました。

母の悲鳴を聞いて、ハッと我に戻りこれはただ事じゃないと悟った頃にようやく揺れが

おさまったと思います。すぐに2階で寝ていた父がおりてきて

『お前ら大丈夫やな!』ってわたしと母の無事を確認した後、地下におりて

2世帯住宅に一緒に暮らしていたお爺ちゃん、お婆ちゃんの無事を確認しに行きました。

幸いうちの家ではみんな無事で、家もなんとか持ちこたえました。だけどライフラインは

全て停止。私が入った後のお風呂のお湯だけが残って飲み水なんて買い置きも無く

とっさに機転をきかせた兄がコンビニ走って行ったのも時既に遅し、商品はライフラインを

使わないと調理できないものばかり残っていてしょうがなしにカップめんを買って帰ってきました。

しばらく家は危険だし、暖房器具も使えないのでみんなで車にいてラジオから情報を

集め寒さと怖さに耐えていました。怖がりの私は震えが止まらず何回も来る余震の度に

兄の腕をつかんで目をつぶるだけ。。。

父は家と家族が無事だったことに一安心する間もなくすぐに原付バイクを買いに行き

売り切れる前に1台購入できました。そんなこともし自分が親としてその場に遭遇したら

思い付くことができるだろうか。。。って今になって父のすごさがわかります。

父はそのバイクですぐに会社を見に行ったのですが、会社は当時一番被害が大きかった

神戸市長田区にあり、全壊していました。

もうひとつの事務所も建物は無事だったけど液状化現象でとてもじゃないけど使えない状態。

たまたま誰かに勧められたまま入っていた『地震保険』のお陰で会社も建て直すことができましたが、

もしそれに入ってなかったら今頃うちの会社はどうなっていたかわかりません。

須磨区に住んでいた私の従姉妹たちの隣の家が火事になったということで危険なので

しばらくうちの家に避難して、みんなで助け合って暮らしました。

私の家の周辺は震度6強~7弱だったので、電気が一番早く復旧し、その後に水でした。

それでも給水車に何度も並び重いタンクを家まで何度も運んで、でも全然足りなくて

一番困ったのは何と言ってもトイレ。近所の公衆トイレには行列ができていて、流す水は当然

無く、不衛生を極めていて私はどうしても使用することができなかったのを覚えています。

行列と言えば公衆電話も。当時は携帯電話を持っている人は珍しかったので、身内や友達の

安否を確認するには公衆電話しか手段が無かったんです。これには私も並びましたね。。。

本当に幸いなことに関係者に怪我人すらいなくて、ほんとそれだけが今でも感謝することです。

水が出て電気が通るとご飯が炊けるんです。あと、カップめんも食べられる。

灯油のストーブもついて、コタツにも入れました。そんなこと被災してない人にとっては

『当たり前』のことでしょ?ううん、被災した人でも今となってはもう想像もできないかも。

お米はたくさんあったから、おにぎりをたくさん作って長田区へ何度も父が持って行きました。

兄も一緒に行ったけど後で『地獄やったよ、見るもんじゃない』って言ってました。

それでもみんな気丈に頑張って、全然知らない人ばっかりなのに助け合って。。。

消防士さんだって家族を亡くしている人もいたと思う。お医者さんだって、看護師さんだって。

それなのに必死で働いてくれていました。そんな中でも心無い県外の観光客が写真を撮って行ったり

ってことも、火事場泥棒だってあったらしいです。

私は5月まで学校に行けませんでした。学校が液状化現象でとても通える状態ではなかったのと、

学校がきれいになっても通学手段がありませんでした。

長田から東灘までの線路が全てぐにゃぐにゃで、そのために私と兄は東灘区にマンションを

借りて二人で住んで学校に通ってましたが、週末家に帰ろうと思うと、何時間も歩いて

バスに乗り継いでやっと帰れるんです。しんどかったなぁ。。。

電車では痴漢にも遭ったし、地震から少し経って落ち着いてくるとそういうモラルとかが

欠け出してきていたような気がします。治安も悪かったしね。

また近いうちに必ずやってくると言われている東南海地震。。。

もぉやだよ・・・。あんな経験死ぬまでしたくないよぃ。。。

今でも小さな地震でさえガタガタ震えてしまうんですよ。怖くて怖くて。

今となっては守るものができて、もう親には守ってもらえない年になっています。

だから尚更怖いです。もし旦那がいない時に大きな地震が来たら冷静に我が子を守れるだろうか…

って本当に心配です。被災したことで万が一地震が来た時に何が一番必要で、真っ先にどうしたら

いいか、とかは身をもってわかったんだけど、果たしてそれが冷静に実行できるかどうか不安です。

もう地震を知らない世代が3割になったんですって。

もちろんうちの子もそこに入ります。でもこの子達がこれから来ると言われている地震に

遭う確立が一番高いんですよね。

だからこそちゃんと伝えなきゃ。阪神大震災がどんなものだったか、もし遭遇したら

人はまずどんなことをすべきか。

難しいけど、この日を迎えるたびに強くそう思います。

自分が死んでしまえば悲しみもわからないけど、そのことで自分の大切な人が悲しい思いを

することや、自分の大切な人を失ったときの自分の悲しみを想像すれば

被災したことの無い地域の人ももう少し地震に備えることができるんではないでしょうか。

備えあれば憂いなし、本当に大切なことなんです。

私も防災グッズを揃えて荷物や家具の配置なんかにも気をつけてみたいと思います。

※注意!!テレビは倒れてくるんじゃないんですよ、『飛んで』くるんです!!

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